とくに団塊の世代と呼ばれる人たちに多いが、神社というとすぐに国粋主義とか、右翼などと話を一緒にされてしまうことがある。それが私には理解できない。神社に行くことは、私にとって文字によらない歴史の発見の旅であるし、ときにはどれくらい古いかわからない巨大な楠や、縄文時代から続いているかと思われる岩穴の祭祀場を見つけて度肝を抜かれることもある。
戦後しばらく、ニヒリズムとか無宗教とかいうスタンスがクールなものと見なされた時代があったようだ。その時代に青春を過ごした人たちは、理知的なもの以外受け付けない硬化した脳を持つようである。
そんな人たちのあいだで、退職したあと、海外に移住したりするのが流行っているらしい。彼らは口々に「ログハウスと小さな畑で自給自足したい」という。
持ち家と二台の乗用車を持つ夢がかなえられたら、こんどは貧乏の真似ごととは鼻白む。野菜の値段が下がっているいま自給自足なんかされたらたまったものではない。だいたい自給自足とは、主流の経済ベースではどうやったって奴隷のように働かせて人生が終わってしまう人たちが、それとは違った伝統的な生き方として選ぶものだ。もともと趣味でやるようなものではない。
ちゃっかり自分の近代生活はキープしながら、別荘を海外に持つようなライフスタイルに私は何の魅力も感じない。そんな人が海外で何をやるかといえば、朝からゴルフ、スキューバ・ダイビング、ジェットスキーなど、もうきいているだけでトップレスの欧米人の浜にうちあげられたくじらみたいなどてっ腹が目に浮かぶような、消費社会の安全なお遊びだ。
彼らは政治の時代を生き抜いたのだから、社会で大きな影響力をもちえる今こそ、若いときの理想を思い出して社会変革にまい進すればいいものを、結局あの時代にぼんやりと夢みていた自然と一体化した生活を、海外移住コンサルティング会社にパッケージ化された形でやっているだけじゃないか。
そんな人たちは日本の神社の鳥居なんて正月くらいしかくぐらないだろうな。そこにある真の自然と共生する思想など少しも頭をかすめることなく、白々しいナチュラリストとして生きていくのだろう。
私はそんな幻想は追わない。この国の奥深くに見るべきものがあると信じる。たとえ海外で暮らそうとも、意識の中心は日本列島のマグマの下からはなれることはないだろう。